中文:青鱂看见了彩虹
表演者: 高田梢枝
专辑类型: Single / Import
第一次接触这首歌
大学刚毕业那会儿,我还在在南京做Good Luck Good Bye乐队
看到喜欢的棒球动画《振臂高挥》,想起了大学时候体育课选修过棒球
除了那些精彩的故事、可爱的人物,更打动我的是那些音乐
那些热血的棒球比赛应援曲目、那些青春的摇滚乐片头
相比BaseBall Bear和生物股长的超燃OP《青春ライン》
第一季的ED片尾曲《メダカが見た虹》瞬间戳中我的点
贴上这首歌
回忆自己那段青春和热血
那时候的动画TV版,现在叫番剧
那时候的片尾曲,现在叫ED1
逝去的心事与回忆
空想、努力、懊悔、沮丧……
时光匆匆流逝
年少的回忆变得温暖
多少带些傻气的幸福
不忘掉
多好
Try:
《青春ライン》
《メダカが見た虹》
歌词:
夕焼(ゆうや)けも通(とお)りすぎて 明日(あした)また会(あ)えるかな
走过晚霞 明天是否能再见面
小(ちい)さな手(て)と手(て)つないで 帰(かえ)り道(みち)の歌(うた)歌(うた)った顷(ごろ)
手牵著手 唱著归途之歌的时候
画用纸(がようし)いっぱいに 描(えが)いた仆(ぼく)の梦(ゆめ)
用许多画纸 描绘着我的梦想
どんな风(ふう)に生(い)きれば 幸(しあわ)せになれるんだろう
究竟要怎样的生活 幸福才会成真
苦(くる)しい今(いま)を変(か)えたくて でも答(こた)えは出(で)ないまま
想改变痛苦的现在 但不知道答案之前
どこへも行(い)けず 青(あお)い空见上(そらみあ)げてた
哪都去不了 抬头仰望蓝天
自分(じぶん)が好(す)きで 自分(じぶん)がイヤで
如此喜欢自己 却又讨厌自己
踏(ふ)み出(だ)せばいい 変(か)わりたいそう愿(ねが)えばいい
只要踏出这一步就好 想要改变 只要这样想就好
この手(て)ぎゅっとにぎった
如此想着 我紧握双手
こうして仆(ぼく)は転(ころ)んで 少(すこ)しずつ上手(じょうず)になって
于是我不断的摔倒 也慢慢变得熟练起来
小(ちい)さな喜(よろこ)びもいつか 宝物(たからもの)と笑(わら)って言(い)えるかな
这小小的喜悦 有一天会成为我微笑和他人说这是我的宝物吧
强(つよ)さもやさしさもなくて この足(あし)は震(ふる)えたままでも
即使失去坚强与温柔 即使双脚不停颤抖
あの空(そら)に虹(にじ)を描(えが)けるようになること ずっと信(しん)じてる
要在那片天空画出彩虹 我依然如故的相信着
どんな风(ふう)に生(い)きても 幸(しあわ)せになれないよ
究竟要怎样的生活 才会无法幸福
闻(き)こえるたくさんの声(こえ)に あっという间染(まそ)まって
听到许多的声音所说的 而让自己因此染上
ため息(いき)ついて ホッと胸(むね)なでおろす
伴随著叹息 放下心胸接受一切
自分(じぶん)が好(す)きで 自分(じぶん)がイヤで
如此喜欢自己 却又讨厌自己
踏(ふ)み出(だ)せないまま 変(か)われないと决(き)めつけて
在不踏出这一步 便改变不了这决定
この羽(はね)を折(お)り曲(ま)げた
羽翼被折弯
こうして仆(ぼく)はまるで バケツの中(なか)のメダカさ
于是我就像成为 水桶中的青鳉鱼
小(ちい)さな水草(みずくさ)に络(から)んで あぶくだけ吐(は)いて生(い)きてる
在小水草纠绕之中 吐著气泡生存着
爱(あい)も希望(きぼう)もなくて 大切(たいせつ)なのは自分(じぶん)だけで
即使失去爱与希望 最重要的只有自己
がらくたはあの空(そら)も 虹(にじ)の色(いろ)も何(なに)も知(し)らない
在不值钱的那片天空 彩虹的颜色也渐渐都不知道了
自分(じぶん)が好(す)きで 自分(じぶん)がイヤで
如此喜欢自己 却又讨厌自己
踏(ふ)み出(だ)すんだ 変(か)われるんだ 必(かなら)ず
踏出那一步 并改变自己 一定可以的
この手(て)ぎゅっとにぎった
如此想着 我紧握双手
それでも仆(ぼく)はまるで バケツの中(なか)のメダカさ
尽管如此我还是彷佛 水桶中的青鳉鱼一般
小(ちい)さな水草(みずくさ)に络(から)んで あぶくだけ吐(は)いて生(い)きてる
在小水草纠绕之中 吐著气泡生存着
强(つよ)さもやさしさもなくて この足(あし)は震(ふる)えたままでも
即使失去坚强与温柔 即使双脚不停颤抖
いつかは雨(あめ)の中(なか)に ひとりで虹(にじ)描(えが)けるかな
哪一天能够在雨中 一个人画出属于我的那道彩虹
p.s.这首歌收录在高田梢枝2007年发行的第二张专辑《雨天決行》
感兴趣的朋友搜索一下吧,这张专辑我也很喜欢
曲风是流行夹杂多样元素
人声率真的简直透明
和另外一个我喜欢的日本歌手Salyu同一个方向:)